創造的な生活とは

創造的な人生に手遅れはない。問題は、その創造的なことにいつ目覚めるかだ。

リタイアの後、その数年後、高齢者になってかなりたってから、仕事に就いている最中に

突然、きっかけさえあれば、いつでも創造性には目覚めるものだ。

これがいきいきと生きるための秘訣らしい。

リンダ・グラットンなどのライフシフトにある、ステージとエイジのかい離に、中高年に

なってからいきいきと生きることの必要性は示されている。

ライフシフトでは、過去の慣例の中高年=引退は現代では別のステージでの生き方に変化

していることが紹介されている。

その反面、快楽追求のためにだけやっていることには創造性は余りないであろう。

ゆとりを持った遊びは重要だが、単なる個人的な満足だけの遊びや遊びのようなものには

、学びもなければ充電もない。

こんなものためだけに、費やす時間には何の価値もない。

やはり、趣味にしても深さが必要だし、社会的な活動などはもっと良い筈だ。

そのための必要資金確保のための仕事も良いであろう。

いずれにしても、無価値なことに費やす時間は浪費というものだ。

また、趣味の中にも創造性が発揮できるものは多い。

絵画、音楽、工芸、短歌、俳句、書道などなど、実に多彩で創造性を発揮できるものは沢

山ある。

これに関わっていることでいきいきと生きることが出来るようになった人も多いだろう。

これも悪くはないのだが、実は趣味はかなり金がかかる。

以前聞いた話だが書道の作品の額装には数十万かかるものは珍しくないらしい。有名書家

の弟子である知人は個展を開いたが、相当に金がかかったために次回は数年後に出来るか

どうかだ、と話している。

その他の趣味にも金がかかるものは多い。

茶道や華道、踊りなどの伝統的な趣味も実は、多額の金を必要とする。

リタイアの後の金欠では資金ショートで続行不能もあり得ることだ。

創造性に富んだ生活をし若々しく生きる必要は高いが趣味は金がかかって出来ない可能性

もある。

従って、余り資金を必要としない社会活動やボランティアの中で自分の創造性を発揮でき

れば一石二鳥の効果と言えよう。

無から有を作り出す、社会活動の中にも様々なプランニングがあり個人の創造性の発揮の

場所は数限りなくある。

一方、自分の行っている仕事の中でも、これの発揮が可能なものは無いであろうか。

過去に管理の仕事に、それを見つけたことがかなりあった。一つは事業管理の時に、ある

教室の運営の内容変更を実施した時のことだ。

この教室の事業拡大による利益の拡大は、その時点での事業単体のみならず属していた会

社全体に影響のあるものだった。

その改良に向けて、様々な方策を実行した。

展開地域の拡大、集客方法の改善、講師陣の変更、テキストなどの改良など。

こんなところの収支改善にも「創造性」はあるのではなかろうか。

何故ならば、いずれの方策にもアイデア、仮説、仮説の検証、実行計画などの「プランニ

ング」の作業が伴うからだ。

例えば、集客方法の改善にはチラシの改良、口コミでの集客のための方法作り、宣伝方法

を新聞と並立してネット広告を実施すること、友達紹介の促進策などの様々な企画があり、

それを実行し効果測定をすることには、ある意味での(無から有を作り出す)創造性があ

ると思われる。

更に、営業の仕事でもそれを見つけたことがかなりあった。一つは駆け出しの営業マンの

時に、店頭のプロモーションの内容に工夫を凝らしたことだ。

もう少し時間が経ってから企画業務を担当した時にも、ある製品群の店頭装飾に凝った内

容を加えて独自の売り場を確立することに腐心し、担当地域でのその製品群の売上を大幅

に引き上げたこともあった。

それ以外にも、更に大きなレベルでは本社での事だが、ある事業担当をした時に予算の制

限を受けた中で広告の内容変更を図らなければならない場面があった。

その時に、従来のフィルムの一部を変更し音楽を変える事を行った。

音楽は過去のアーティストの別の曲で決定したが、その候補として大物フォークシンガー

の最新曲があったことを懐かしく思い出す。

これらのことは全て過去に担当した仕事のうえでのことだ。

創造性は、どんな場面でも活かせる場合があるのだ。

自分が求めさえしていれば。


キャリア・カウンセラー札幌's Ownd

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